先日とあるネット記事を見ていると不妊治療の専門家のこんな記事が。
「不妊治療にむかう夫には“愛する妻のために”と考える人が多い」と。
一見すると不妊治療にがんばる奥さまを支え、応援する夫。美しき夫婦愛。
いや、でもなんか違和感あるな?
ボクはそんなこと考えたことないな?
ボクが不妊治療にむかうのはなぜか?
不妊治療のモチベーションはなにか?
いやボク、
こどもほしいっすもん。
産まれた子を見て感動したい
かわいい名前をつけてやりたい
人に見せられないくらいメロメロになりたい
ワーキャー言いながらおしめ替えたり、おしっこ拭いたりしたい
かっこいいベビーカーで爆走したい
いっぱいおもちゃを買ってやりたい
奥さんに隠れていっしょにおかし買い食いとかしたい
おそろいの帽子で歩きたい
うたたねしてたら顔に乗っかってきてほしい
帰ったら「おかえりー」って飛びついてきてほしい
才能を信じてやりたい
元気に育ててやりたい
ずっといっしょにいてやりたい…
ダメだ、泣きそうだ(ノД`)・゜・。
いかんいかん、理系男子らしくもうちょっと頭を使ってみよう。
こどもがほしい、それならたとえば養子縁組だっていいことになる。
でも不妊治療するってことはそうじゃないですよね。
ボクは奥さんとのこどもがほしい。
奥さんはボクとのこどもがほしい。
べつに“愛する妻のために”じゃない
べつに“愛する夫のために”じゃない
だからこどもができないのは、いつだってふたりの問題。
うん、シンプル。実に美しい論理展開。
よし、もうちょっと考えてみよう。
ボク達のどちらかに検査で異常が見つかったとしたら、一方が受ける治療をもう一方が支えるかたちになるか?すなわち治療を受ける主体がどちらか、ということが問題になりえるか?
仮にボクに異常が見つかったとする。奥さんには異常なかったとする。
ではこのとき不妊の原因はボクであったと言い切れるか?
いや、女性不妊の1/3は検査で見つからない「原因不明不妊」だとされている*。この場合はボクにはあきらかな異常があるが、奥さんにだって検査でみつからないような隠れた異常があるかもしれない。
よって不妊の原因がボクだとは言い切れない。
仮に奥さんに異常が見つかったとする。あるいは原因不明といわれたとする。ボクには異常なかったとする。
ではこのとき不妊の原因は奥さんであったと言い切れるか?
いや、ボクの方の検査なんてせいぜい精液の量測って、顕微鏡で精子の数と動きを見ただけだ。遺伝子とかDNAとかゲノムとかレベルでどうかはわからない(多分)。ボクにだって検査でみつからないような隠れた異常があるかもしれない。
よって不妊の原因が奥さんだとは言い切れない。
不妊検査だって万能じゃない。
検査して異常がみつかっても、それは1つ以上ある不妊の原因のうちの1つがみつかっただけ。不妊の原因がすべてみつかったかどうかはわからない。ふたりともに原因がある可能性は、結局絶対0にはならない。
ってことはやっぱり、
不妊はいつでもふたりの問題なんです。
不妊治療ってふたりでうける治療なんです。
「支える」?
「応援する」?
「協力する」?
いやいや!てめぇの問題でもあるだろ!
と、ボクは思ってます。
だからボクは
「ボクが/奥さんが不妊」ではなく
「ボクたちが不妊」という表現をつかっています。
「協力する」ではなく
「いっしょにたたかう」という表現が好きです。
*日本生殖医学会HP「Q4.不妊症の原因にはどういうものがありますか?」
次回は不妊治療記「07.はじめての不妊クリニック」です