たとえ死産であっても、母親の身体はちゃんと子を育てる準備をする。残酷にも。
先生とも相談して、奥さんは薬でお乳を止めることになりました。
母親の血液が、母乳となって子供に栄養を与える。
あまりによくできたこの不思議な機能がたった4錠の飲み薬で止まってしまうなんて、なんだか悲しかった。
そんなボクたちに担当の看護師さんが1冊のファイルを持ってきてくれました。ファイルには「グリーフケア」に関する資料が閉じられていました。
グリーフケア。
「グリーフ(grief)」は「悲嘆」と訳されます。子供に限らず、親や配偶者など親しい人との死別による喪失に苦しむ人に対するケアのことをいいます。
もらった資料には、亡くなった子の思い出をできるだけたくさん作ったほうが良いことや、今後その死を受け入れる過程でどのような感情が芽生えていくかなどが書いてありました(孤独や恐怖、怒り。それらはほとんど、後のボクたちにも当てはまることだった)。
ボクたちにはココの死を向かい入れる準備なんてもちろんできていなかった。
産まれてくると思っていた子供が突然亡くなることに、準備している人なんてたぶんいないだろう。
病院のスタッフさんたちは、お願いすればいつでもココを病室に連れてきてくれました。
でもココには暖かすぎるこの病室やボクたちの体温が、ココの身体を少しずつ傷めていっているようで怖かった。ココと一緒に時間を過ごすことが、同時にココを失うスピードを早めているような気がしていました。ココはまるで溶けていく透明な氷のようでした。
それでもボクたちに残された時間は少ない。
ボクたちがココと過ごすことができるのはお葬式までの、あとほんの数日だけだ。
だからこのファイルにもあるように、できるだけたくさんココに関わるものを残しておこう。
手形や足形をとってもらおう。
へその緒を残しておいてもらおう。
そして、たくさん写真を撮ろう。
家から持ってきた大切な一眼レフカメラ。ココが産まれる前に、写真の撮り方のコツを書いた本を何冊か読んだ。たしか、レンズを接眼レンズというものに変えると簡単に可愛い写真が撮れるんだっけ。そうだ、この際だから買ってしまおう。少々の出費なんてどうってことない。
だってココのためだもの。
ココの写真が撮れるのは、
ココとの思い出が残せるのは、
あと少しの間だけなんだもの。
次回は「19.泣かない」
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