不妊治療を休むと決めたことで、ボクたちは息の詰まるようなストレスから少し解放されました。
職場に遠慮することなく仕事に打ち込み、週末ごとに遊びにでかけました。クリスマスイブに有休をとってディズニーランドに行くような反社会的な(笑)ことまでしていました。
そして二人で不妊治療のことをたくさん話しました。
今までどんなことが苦しかったかとか
ネットでこんな記事見たよとか
体外受精ってどう思う?とか
子供がいない生活を想像してみようとか
子供がいっしょにいてくれる生活を想像してみようとか。
たくさん話していく中で、自然とボクたちの意思は固まっていったように思います。ボクたちは二人とも「体外受精」という言葉を口にすることが多くなっていきました。
体外受精。
奇しくも世界初の体外受精児は1978年生まれ。つまりボクと奥さんと同い年!
ちなみにこの頃の体外受精児がなんとよばれていたか。
「試験管ベビー」
…いやな言い方。試験管の培養液の中に胎児が浮いているような、なにかグロテスクなものを想起させます。(こんな言葉とっくに死語だと思っていましたが、Yahoo検索に「試験管」といれると検索予測に出てきてビックリ)
そしてすくなくともボクが学生の頃は体外受精って医療倫理的にどうなの?みたいな話はけっこうあったような気がする。いわゆる「生命の誕生という神の領域に人間が踏み込んでよいのか」議論。海堂尊の「ジーン・ワルツ (新潮文庫)」よろしくちょっとマッドサイエンスティフィックな。たぶん今でも少しはあるのでしょう。
しかし普段クリニックで会う寝ぐせの先生や培養士と思わしきオジサンたちには、おおよそ神の領域感もマッドサイエンティスト感もなく(笑)、いたってまっとうな社会人に見える。
なにより現在30人に1人は、クラスに1人は体外受精児という事実。体外受精って今やそんなに特別なことじゃない。
そう、ボクたちはなにも特別じゃない。
とはいえやはりリスクもある。
お金もすごくかかる
職場にも迷惑がかかる
採卵って痛いらしい
排卵誘発剤にはけっこう副作用もあるらしい
そしてそれでもうまくいかなかったら…
ボクたちはどうなるんだろう。
何度も何度も話し合い、奥さんが36歳を迎える直前の春、ボクたちは再び不妊クリニックを予約しました。
不妊治療を休むと決めてから半年がたっていました。
「しめしめ、やっぱりこの夫婦戻ってきたな、とか先生に思われないかな?」
「思われても別にいいじゃない(笑)」
「それもそっか(笑)」
次回は「19.不妊クリニック、再び」です
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