28.水子供養

 

ダイチがいなくなってしまった日の夜。

 

仕方なかったんだ。

どうすることもできなかったんだ。

誰も悪くないんだ。

ボクたちも、もちろんダイチも。

 

そう2人で何度も確認しあいました。そしてボクたちはダイチのために何かできることがないかと探しました。

 

特別信仰などはもってないボクたちでしたが、なぜかそのときはちゃんと供養をしてやったほうがいいと思いました。ボクたちのもとから旅立ってしまったダイチが今も寂しがっているかもしれない、誰かあの子を守ってやってほしい。

 

幸運にも隣町に水子供養に由緒あるお寺を見つけ、ボクたちはそこに供養をお願いすることにしました。

 

翌日、はじめて訪れたそのお寺にはたくさんの小さなお地蔵さん、そして本堂には大きな仏像と両脇に明王像。きっとたくさんの人がボクたちと同じように子供を失った悲しみを鎮めるためにここを訪れてきたのでしょう。その本堂でお経をあげてもらい、お坊さんのお話を聞きました。

 

「このお寺にはお子さまを亡くされた方がたくさん参られます。皆さん、悲しみの涙を流される。でもね、亡くなったお子さまはきっと、涙を流すお父さんお母さんをみて不思議に思っている。“お父さん、お母さん、どうして泣いているの?ぼくは、わたしはお父さんお母さんの子供になれてとっても幸せだよ。だから悲しいことなんか、泣くことなんか何もないよ”と。

子供たちは純粋です。皆あの世に行っても仏さまの下で元気に幸せに暮らしている。その子供たちが一番悲しいことは何かわかりますか?それはお父さんお母さんがその子のことを忘れてしまうことです。だからどうか、亡くなった子のことをいつまでも覚えてやっていてください。そしていつでも、このお寺に会いに来てやってください」

 

もちろんボクたちにはダイチの死を受け入れる準備なんてできてなかった。それはあまりに突然やってきたし、あまりにもつらいやり場のない感情だった。いったいどうしたらいいのか見当もつかなかった。

 

お坊さんのお話は、そんなボクたちの迷いに一つの方向性を示してくれました。

 

忘れようとなんかしなくていいんだ

元に戻そうなんて考えなくていいんだ

ずっとダイチのこと

可愛がってやればいいんだ

 

まだまだ整理しきれないけど、時間はかかるけど、少しずつ受け入れていこうと、ボクたちは思いました。

 

そしてそのお寺はボクたちにとって、ダイチに会うためのとてもとても大切な場所になりました。

 

 

 

次回は「29.癒す旅」です

 

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