Baby in Car

 

流産死産を経験して日が浅い頃は、目にする景色も大きく印象を変えます。

 

ショッピングモールに子供連れって、こんなにたくさんいたっけ?

ベビー用品のテレビCMって、こんなにたくさんあったっけ?

SNSに子供の写真載せる人、こんなに多かったっけ?

 

要するに小さな子供の姿や、それを連想させるものがいちいち気になる。心がざわついて、亡くなった子のことを思い出してまたつらくなる。

 

通勤で毎日車を運転するボクには、もう一つ目に付くようになったものがありました。リアウィンドウに貼られた「Baby in Car」のステッカーです。

 

そっか、あのクルマには赤ちゃんが乗ってるんだな。

 

本当なら自分の車にも喜んで貼っていたであろうそのステッカーを見て、羨ましくて、また心が暴れだす。

時には気持ちがささくれ立って、「ていうか、そのアピールいる?」とケチをつけたくなることだってありました。

 

「Baby in Car」の意味は、「赤ちゃん乗ってるからゆっくり走ってます」だと思いがちだけど、本当は違うんだそうです。本当は「この車にもしものことがあったら、真っ先に赤ちゃんを助け出してください」という意味なんだそう。その昔海外で、事故車両の中に赤ちゃんがいることにレスキュー隊が気づかずに、両親だけ救出してしまったことから始まったとかそうでないとか。

 

とはいえ現代日本では赤ちゃんはみんなチャイルドシートにしっかり固定されていて、車内の他の場所にいるわけないし、そもそもそんなステッカー年中貼りっぱなしだろうから、いつもいつも赤ちゃんが乗っているとも限らない。要するにそのステッカーにたいして意味なんてない。

 

でもその意味ないものを見て苦しむ人だっているんだから、そんなもの廃止にしてしまえ!なんて思うのはさすがに配慮を求めすぎてると思う。別に誰も悪くないし、敏感すぎる自分の状況をただ我慢してやり過ごすしかない。ずっとそう考えていました。

 

 

娘が亡くなって1年ちょっと過ぎて、前を走っている車にステッカーが貼られていても、前ほどは気にならなくなっている自分に気づきました。つらくないわけじゃないけど、押し寄せる感情の波の振幅が少しずつ小さくなってきた。それは何かのきっかけやタイミングのせいではなくて、耐え忍び続けた時間のお陰だと感じます。

 

大好きな松本大洋さんの作品「Sunny」にこんなセリフがありました。

「“時間”いうんはホンマようできてるてワシは思う…。とどまるゆうことがないさけな。どんだけ楽しいときも、どんだけ悲しいときも、ずっとそのままいうわけにはイカン。今のままがずっと続くことはないんやな。これは救いやとワシは思う。」

 

このブログを読んでいただいている方の中には、おなかの子を亡くされたばかりで、毎日毎日、何度も何度も押し寄せる感情の大波に苦しんでいる方もおられると思います。

いずれいいことあるなんて無責任なことは言えないけど、いずれきっと波は小さくなる。今のままがずっと続くことなんて、無いはずですから。

 

   

 

次回は「失って得られたもの」です