流産や死産。そんな悲しい体験をしても、その悲しみを乗り越えよう、前を向こうとする人を「強い人」だといいます。そして同じ体験をした多くの人はそんな風に強くありたい、強くなりたいと願います。
苦しい中、悲しい中、崩れ落ちそうになってもグッとこらえて、また社会人として仕事に向かえる、感情を表に出さないように振舞える、また次の希望に向かって行動できる。
大変なことです。それができる人は、確かに強い。
それじゃ、それができない人は?
ショックで仕事を辞めてしまった。
人に会うのが怖くて、外に出ることができない。
思い返して、何度も何度も泣いてしまう。
それは「弱さ」なのだろうか?
ボクはぜんぜんそうは思わないな。悲しみとちゃんと向き合うことは、大変なことだもの。苦しいことだもの。でも、絶対必要なことだもの。
我が子が亡くなったことが、悲しくなくなる日なんて来るわけない。悲しみと向き合うということは、自分の中にちゃんとその感情の居場所を作ってやることだと思う。もちろん最初は、その悲しみは大きすぎてとても納まりきらないかもしれないけど、時間を掛けて何度も反芻したり、一生懸命それに意味付けを考えたりして、少しずつ自分のポケットに入る大きさに作り替えていく作業なんだと思う。
悲しいことがあって、悲しくてたまらなくなるのはごく自然なこと。それは抗うべきものでも、打ち勝つべき敵でもない。ましてや目を伏せたり、忘れようとしたり、まるでなかったかのように扱うなんて、絶対に不健全なことだ。
足踏みして、後ろ向きになって、時間が止まったみたいに思うかもしれないけど、そんなことない。物理的に時間が止まることなんてないし、目には見えなくてもその作業はゆっくりと確実に進んでいるはず。
ちゃんと悲しみと向き合うこと。それができる人はボクは「強い人」だと思います。
次回は「不愉快な出来事」です