19.家族なんだから

 

奥さんが入院している産科病棟では、パパママ以外は赤ちゃんに触ることはできないことになっていました。だから新生児室の前には、ガラス越しに生まれたての我が孫を見つめるおじいちゃんおばあちゃんの姿がいつもありました。

 

それを見ると、ボクはある後悔を思い出して少し胸が痛くなる。

どうしてあの時、母が来るのを断ってしまったんだろう?

 

ココが産まれたあの日、ボクは実家の母親に電話して、ココに起こったことを報告した。陣痛が来て病院にいることまでは既に伝えていたから、ボクからの着信を見て母も当然、「産まれたよ」の連絡だと思っていただろう。電話口で泣き崩れたボクに驚き、一緒に泣き、そして「何か手伝いに行こうか?」と言ってくれた。

ボクの実家は遠方だし、自営で商売をしているから仕事を休んで来てもらうことは簡単なことじゃない。手伝いに、といっても何をしないといけないのかも整理できない状態だったから、結局その申し入れをボクは断ってしまった。

 

理系人間だから、なんて言い訳するつもりはないけど、ボクは昔から相手の言葉の真意というか、行間をうまく読めないときがある。後で気づいて後悔した。母の言葉にはこういう意味もあったんだ。

 

ココに会いに行きたい。

 

考えてみれば、そんなの当然だ。自分の孫なんだから。ボクたちの子どもなんだから。大切な家族なんだから。

 

でも母からしてみれば、死産という自分も経験したことのない出来事が起こってしまったその状況で、ボクや奥さんがどんな状態なのかわからない中で、「来なくていい」と言われればそうするしかない。いったん電話が切れてしまえば、その後ボクに連絡を寄こすことすら躊躇ったかもしれない。結局、母がココに会えたのはお葬式の日だけで、すでにお棺に入っていたココを抱っこしてもらうこともできなかった。その時はじめて気づいたのだけどココは少しだけ、母に似ていた。

 

べべが産まれたら、今度はまっさきに来てもらおう。あのおじいちゃんおばあちゃん達のように、新生児室のガラス越しにべべに会ってもらおう。遠いからとか仕事があるからとか、そんなこと気にせず駆けつけてくれるはずだ。だってボクたちは、家族なんだから。

 

 

 

ヘパリン最後の日」へつづく

 

 


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