悲しみはそこから「次へ進む」ものではなく、共に歩んでいくもの

 

 

もし死産や流産を経験したあなたが、

笑ったり、嬉しくなったり、また次の幸せを望むことに違和感や罪悪感を感じたりすることがあったら、

ぜひこの動画を見て欲しいです。

 

作家ノラ・マキナニー氏は夫を亡くした悲しみと向き合った経験から、死別の悲しみは治らないものであると同時に、他の様々な感情と混ざり合うものと話します。このスピーチはたとえどんな感情が湧いてきても、それは悲しみを経験したからこそであり、決して亡くなった人のことを大切に思っていないということではない、という風にも解釈できます。

 

 

以下はボクがスピーチを要約したものですが、できれば全文を聞いていただきたいです。15分ほどの動画ですので、お時間があるときにぜひ。


 

あなたの大切な人が亡くなった時、人に言われて一番嫌だったことは?

トップに浮上するのはこの言葉です。「次に進む」。

 

私は夫を亡くしましたが、その後再婚し、今は素晴らしい人生を送っています。しかし私はまだ「次に進んで」はいませんし、この言葉が嫌いです。この言葉は亡き夫の人生と死と愛情は瞬間に過ぎず、後ろに置いていくことができるもので、そうすべきだと示唆しているからです。しかし私は夫のことを話すとき、つい現在時制になってしまいます。失った愛する人が、私にとってはまだ存在しているからです。私の生活の中にいつも彼の存在があり、私は彼から次へと進んだのではなく、彼と一緒に前に進んでいるのです。

 

現夫と出会って、周りの人は私の悲しみが終わったと思ったかもしれませんが、そうではありませんでした。それは別の章の始まりでした。恋に落ちることで、失ったものの大きさを心から実感することができたのです。亡夫への愛と悲しみ、現夫への愛情は相反する力ではなく、互いに絡み合っているものであり、同じものなのです。

 

大切な人を失う過程は心に残るものです。その記憶はいつだって悲しい記憶のままです。いつだって心の痛む記憶です。彼と出会った時の記憶に、いつだって笑ってしまうのと同じです。悲しみは空虚な空間ではなく、他の様々な感情と同時にまた混ざり合って起こるものです。

 

人生の喜びや不思議を経験している人たちに 「次へ進む」ように言ったりしませんよね?死別の悲しみというのは、いったん経験すれば、それが治ることのない永続的なものだとわかります。そしてそれを防ぐことはできません。この世には治らないものもあり、すべての傷が癒えるわけではないと、私たちはお互いに確かめ合う必要があります。思い出すために、思い出させるために、互いを必要としているのです。

 

死別の悲しみは様々な事柄に向き合わせられる感情です。私たちは悲しいと同時に幸せを感じたり、悼むと同時に愛することもできます。悲しんでいる人も、またいつか笑ったり、微笑んだりすることがあるでしょう。前に進む時が来るのです。でもそれは決して悲しみを忘れて「次に進んだ」ということではないのです。

 

 

 

 


にほんブログ村 にほんブログ村へ