いないという存在感

 

 

<いない>という存在感。わぁ、いい言葉だなぁ。それはボクの中にある空洞を、とても的確に言い当てている言葉かもしれない。

 

あの子が亡くなった時に心にできた空洞、ぽっかりと空いた穴。それははじめ、ボクの心を占有してしまうほど巨大なものだったけど、時間とともに少しずつ小さくなっている。多分いずれは、あの子の身体とまったく同じ体積まで収束して、そこで固定される。

 

その空洞は何も“ない”空間として、ボクの中に“ある”。<いない>という存在として。

 

そのせいかもしれないけど、奥さんがまた妊娠したとわかったときも、ボクはあの子が「帰ってきた」という風に思うことはなかった。だってこの空洞は、確かにまだ存在しているから(はじめの子の流産の後だってそうだ)。

 

他の何も入れることはできないし、もし入れたとしてもキレイにそれが満たされることは無い。だから間違いなくその空洞は、あの子のためだけの空間としてボクの中に“ある”。リビングの片隅の、小さなお仏壇みたいに。

 

その空洞を感じるとやっぱりすこし悲しくなるけど、それを無理やり何かで満たしたり、どこかに隠してしまいたいと思うことは無い。確かなことは、それがボクにとってかけがえのない、大切なものであることだ。

 

あの子が残していった空洞。<いない>という存在感。そのおかげで、あの子はいつでもボクの中にいる。ずっと一緒に生きている。

 

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次回は虹のこども「08.漢(おとこ)」です