ものの本によれば、大切な人と死別した後に訪れる「悲嘆の反応」には、思慕、疎外感、うつ的不調、適応対処の努力という4つのプロセスがあって、平均すると4年半ほどでその反応が治まるんだそうだ。
4年半というのは長いようでもあり、短いようでもあり、なんとも妥当な数値であるような気もする。もっとも、4年半目のある日にパタリと治まるわけではなく、少しずつその反応を感じる頻度が減っていって、そのうちほとんど感じなくなっていくということなんだろう。適応能力というやつかもしれない。
小さな子供を連れた男性を見た時、おなかの大きな女性を見た時、あるいはもっと予期せぬタイミングにでも、ボクの悲嘆の反応は感情の箱から飛び出てくるかのように、いつも突然襲ってきていた。ココが亡くなって2年余りが過ぎた今、その箱がふいに開くことはあまりなくなったけれど、それでもボクはその中に何が入っているのかよく知っているし、自分の意思で開くことだってできる。
悲嘆の反応が治まるということは、決して悲しくなくなることでも、忘れてしまうことでもないと思う。悲しみが感情の箱からふいに飛び出してしまわないように、うまくそれを収めてしまって置けるようになる、多分そういうことなんじゃないだろうか。
参考記事:AERA dot. 2018/5/3