入院から3週間以上がたち、奥さんは妊娠32週を迎えます。1週越えるごとに、先生や助産師さんも一緒になって喜んでくれました。入院後は出血や体調変化もほとんどなく安定した状態が続いていて、ボクも奥さんもだんだんとこの生活に慣れてきていた。そんなある日のことでした。
いつものように仕事を片付けて病院へ行き、面会の手続きをしようとしている時に、ナースステーションにいた助産師さんから聞きました。
「ここ村さん、実は今日のお昼に破水みたいなのがありまして…」
「えっ!!破水!?」
「調べると結局、破水ではなかったんです。多分おりものが多く出たのだと思います。ただそれでちょっと、奥さまが少し感情的になられたようで…」
病室に行ってみると、奥さんは泣きはらした目をしていました。
「今日はびっくりすることがあったんだってね」
「うん、トイレに行ったらショーツがすごく濡れてて、あ!破水した!って思って急いで助産師さん呼んで…。で、すぐに先生も来てくれて、検査してもらったら破水じゃなかった。なんか大したことじゃないのに大騒ぎして申し訳ないなって」
「でもね、安心したらその後ココのことがいっぱいフラッシュバックしちゃって…。なんかもう…涙止まらなくなっちゃった」
ココの出産のとき、陣痛のたびに漏れ出る羊水で、厚めのナプキンはすぐにびしょびしょになってしまって、そのたびに奥さんは痛みを我慢しながら、トイレまで歩いてナプキンを替えていた。何度も。何度も。
同じ病棟の同じトイレ。濡れたショーツをみて、その時のことを思い出すのは当然だろう。もちろん、その後に起こったことも。
実はナースステーションで、破水、という言葉を聞いたとき、ボクは驚いたと同時に何か諦めのような気持にもなっていました。
あぁ、次はそれか。
長い不妊治療、不育治療、ココのこと。つまずくこと、順調にはいかないことに慣れてしまっていた。また別のトラブルが起こって、また不安になることが習慣になっていた。
もちろん振り返ってみれば普通以上に順調にいったことだってある。体外受精は予想より良い結果だったし、今回の件だって、もし入院していなかったらもっともっと大事になっていたはずだ。でもそうやって物事の良い面を探し続けるのは正直…疲れる。そんなことしなくても、ほとんどの人は問題なく子供を授かっているのに、と思ってしまう。
べべが元気に産まれるその瞬間まで、この霧のような不安がなくなることは無いと思う。なるようになれ!なんて思えれば楽なのかもしれないけど、残念ながら全てを受け入れられるほど器量が大きくない。結局のところボクたちにできることは、何も起こらなかった1日に感謝し、明日も何も起こらないことを祈る、それをただ毎日繰り返すことだけでした。
「誕生日」へつづく